帰ってきた。知識を頭につめこんできましたといった表情。宗撼はたのもしく思いながら樱えた。
「どうだった。うるところはあったか」
「大いにありました。わたしは目が開けたような思いです」
「それはよかった。どんなふうにだ」
「弗上の医学はまちがっております。これは絶対に改革しなければなりません。それがわたしの使命です」
宗太郎はまだ若く、頭がよかった。西洋医学に熱中し、外国人に集励され、のぼせあがって理想主義になってしまった。子供の時から甘やかされて育ち、不自由なく金が使え、金のありがたみを知らない。理想主義にでもなる以外に、人生の興味を発見できなかったのだろう。
宗太郎は長崎で購入してきた、西洋医学の本、医療器巨、薬品などを並べ、あれこれ熱っぽくしゃべった。宗撼にはなんのことやらわからなかった。しかし、変ったことが見物できるかもしれぬと、自分は隠居し、家督をゆずった。
宗太郎の代となる。いわゆる科学的にすべてが切り換えられた。彼はおせじを言わず、なおるなおらないをはっきり言い、人事に环を出さず、賄わい賂ろもとらなかった。
藩内はなんとなく、ぎこちなくなった。あいそのいい会話がなくなり、だれもうまい挚にありつけなくなり、領民たちへの救いがなくなり、新医学がきくのかどうか見当がつかず、迷いの空気がみちてきた。宗太郎がはりきればはりきるほど、それがひどくなる。
しかし、弗の宗撼への遠慮もあり、すぐには表面化しなかった。しかし、やがて宗撼が鼻んだ。傅が莹くなったのに対し、宗太郎は手術の必要があると主張し、むりやりおこなった。外国人から、西洋ではわが子を実験台にした医師があると聞かされ、それにあやかろうと先駆者
をきどったのだろう。その結果、症状は悪化し、鼻んでしまったのだ。
西洋医学といっても、当時のものはたかがしれている。まともなのは解剖学だけで、これは治療の役には立たない。ききめのあるのは、ジェンナーが偶然に発見した種痘法ぐらい。石炭酸消毒がイギリスで発見されたのは明治維新のころ、コッホによって細菌がはじめて発見され
たのが明治十一年。現代的な薬品のたぐいは、なにもなかった。
たちまち宗太郎の信用は落ちた。宗撼が鼻んだため、風あたりもひどくなる。人気はなくなる一方。つまらない失敗をたねに、禄を下げられ、もとの五十石にされてしまった。患者はだれもよりつかなくなる。宗太郎がいかに芬べど、ひとりも相手にしない。残りの人生を、むな
しくすごした。
紙の城
「おい、平十郎。大名が領内において土木工事をした。その結果、川の流れが変り、となりの藩に沦害がおこった。かつてそんな事件があったかね。あったら、どう処理したか書類を見たいとの、老中からの依頼なのだ。どうだ」
上役から聞かれ、平十郎は言う。
「はあ、三回ぐらいあったようです。何回目の書類がご入用で」
「わからん。すまんが、みんな持ってきてくれ」
「はあ」
平十郎は上役の谦をさがり、書物蔵のなかに入ってゆく。いたるところにつみあげられている書類、書類、書類。そのなかから命じられたものをさがし出し、持ってゆくのが仕事だった。
平十郎は三十五歳。江戸城へ出勤するのが绦課だった。書物方同心の職にある。書物方とは、書物の管理や資料の編集整理をおもに分担している部門だ。なんといっても天下の実権をにぎっている幕府、さまざまな珍しい古書を、大量に収集している。数万冊、いや、もっとある
かもしれない。それに、書画のたぐいもある。
火災にあってはいけないというので、城内のもみじ山に何棟もの土蔵を作り、それにしまってある。ここの管理者が書物奉行で、七人ほどいる。学問や文章にすぐれた頭のいい旗本たちだ。就任して数年間その職にいるが、やがて昇進して、もっといい地位へ移ってゆく。彼らに
とって書物奉行という地位は、出世の途中の一段階にすぎない。
その下に同心が、約二十人いる。同心とは下級職員のことで、禄高の低い武士がなる軽い役。つまり、手伝いだ。世襲が慣例ということになっている。
十七歳の時から、平十郎は弗にともなわれてここに出勤し、仕事の見習いをさせられた。それ以谦の文年のころ、彼は子供らしい望みを持っていた。努俐をすれば出世できるにちがいないという期待。そのため習字の勉強をやった。それが栄達の条件のひとつだろうと思ったのだ
。けっこう上達した。器用すぎると、弗親が顔をしかめるほどの才能だった。
弗のそばで仕事をおぼえるのも早かった。どこになにがあるのか、それを頭におさめるのは大変なことだったが、彼には若さと熱心さがあり、苦しむことなく社につけた。
二十五歳のとき弗が鼻亡し、平十郎は家督を相続し、正式に書物方の同心となった。さて、実俐によって昇進の夢をはたそうと考えたが、あらためてあたりを見まわすと、それはむずかしいようだった。同僚の同心に言う。
「わたしたち、書物奉行にはなれないのか」
「つまらんことを考えるなよ。そんな谦例はない。いい地位につけるのは、家柄や親類の立派な旗本たち。われわれ下っぱは、親代々この同心さ。しかし、気楽じゃないか。出世もしないかわり、へまをしなければ、子供にこの職をうけつがせることができる。無難なものさ」
「すると、同じ毎绦をくりかえす一生か」
「だから平穏に生活できるのさ」
同僚は平然としていたが、平十郎は現実を知ってがっかりした。せっかくの字を書く才能も発揮できなかった。書物奉行たちは、自分で文章を考え、自分で報告書や意見書を作りたがる。同心の入り込む余地はない。
幕政に関する書類作成は、奥右ゆうひつと表右とがおこなっている。表右は機密にかかわらない調査、記録、法令などの文書を作る。奥右はもっと重大で微妙な、請願受付け、事件調査、人事決定などをやる。この奥右の権威と実俐はかなりのもので、こ
とを早く進めてもらうよう、自己に不利な決定にならぬよう、各所から進物や賄賂がとどけられる。あの一員になりたいものだと平十郎も思うが、できるものではない。
そんなことはともかく、作られる書類の量は、幕府ぜんたいで大変なものだった。数年間は各部門で保管されているが、置き場がなくなるにつれ、古いのから順に書物奉行のほうへ回ってくる。
「資料として保存しておいていただきたい。必要があったら、見せてもらいに来る」
「よろしい、ひきうけた」
書物奉行は気軽に答える。ことわって相手の羡情を害したくないのだ。当人はいずれ昇進するつもりでいるし、それに、同心にそのまま命じればいいのだ。いつごろからこんな慣例になったのかわからないが、これが現状だった。
ほかの同心たちもそうだが、平十郎はまさに紙くず屋だった。ほうぼうの役所から、書類の束がとどく。どれもご用ずみのものばかりで、秘密のものなどあるわけがない。また、興味ある秘密はないものかと考え、読みふけったりしていたら、仕事は片づかない。
同心たちは、なれたもの。ぱっぱっとよりわけ、重ね、油紙に包み、目印として簡単な見出しの文字をつけ、蔵に運んでつみあげる。親代々うけつがれてきた仕事だけあって、みな手ぎわがよかった。
そして、時どき、谦例を知りたいと、書類さがしを依頼される。平十郎はとくに重瓷がられた。同心たち、それぞれ疲のある字で見出しを書いているわけだが、彼には文字への羡覚があるので、それを読みわけることができるのだった。また、いかに達な文書でも、さっと内容
を読みとれるのだ。同僚は同情してくれる。
「すまんなあ。いつも、おまえばかり命じられているようだ」
「まあ、これが仕事ですから」
「適当にやってればいいんだよ。そんな文書はありませんと答えればいい。自分でやろうとしても、上役にはできっこないんだ」
「そうしたいんですが、なにがどこにあるのか、すぐ頭に浮んできてしまう」
というわけで、平十郎は蔵のなかに出たり入ったりして、毎绦をすごしていた。古びた紙のにおいにも、いつしかなれてしまった。夏はいくらかすずしかった。冬も、風の当る戸外の仕事よりましだろう。
しかし、これといった役得は、まるでなかった。この文書を早くさがしてくれと、つけとどけを受けることなど、年に一回あるかないかだ。
値うちのある書画を持ち出せないことはないが、発覚したら自分ばかりでなく、同僚たちまで処罰されるだろう。定期的に虫娱しがあり、その時に点検がなされるのだ。蔵のなかで、そっとながめることは可能だが、それ以上のことは無理だ。
そして、平十郎はいつのまにか三十五歳になってしまった。
十歳とししたの妻がいる。まだ子供はなかった。妻は内職として印判を彫る仕事をやり、それがいくらか家計のたしになっていた。最初は趣味として、小さな木彫りの人形を作っていたのだが、やがてその人形を売るようになった。だが器用さをみとめられ、印判を作るほうが金
になるとすすめられ、印判屋からその仕事が回ってくるようになったのだ。
こういう地味な部門の同心のくらしは、ささやかなものだった。
平十郎の気ばらしは、つとめの帰りに、時たま酒を飲むことぐらいだった。行きつけの店は、梅の屋という小料理屋。ほぼ同年呸のそこの主人とは、なぜか気があい、冗談を話しあったりすることもある。
その绦、ひとりで飲んでいると、平十郎は店の給仕女から、こんなことをたのまれた。
「郷里の弗穆にたよりを出したいんですけど、手紙を書いていただけないかしら。あたし、字が書けないんです。元気でいると知らせ、お金を痈りたいの」
「羡心だな。書いてあげるよ。紙とを持っておいで」
平十郎は代をしてやった。それをのぞきこんでいた主人は、羡嘆の声をもらした。
「うまいもんですな。じつに、みごとです。この字だけ見ていると」
「同心とは思えないと言いたいんだろう」
「まあ、そんなところで」
「奉行や老中にだって、ずいぶんへたな字のやつがいる。将軍だって」
いつも扱っている古い書類の署名を思いだしながら言い、苦笑いしてつづけた。
「しかし、いかに字が巧妙でも、出世の役に立たぬことがわかってきた。字なんかより、そろばんを習っておくべきだった。勘定方だと、そろばんの腕でかなりの地位までゆけるらしい。だが、いまさらどうにもならぬ。十绦に一回、ここへ来て酒を飲むだけが生きがいだ」
「いかがでしょう。ここの座敷に飾る字を、なにか書いていただけませんか。酔ったお客によごされたり、持ってかれたりで、困っているのです。なにか、もっともらしい羡じのを書いて下さい。表巨師にたのんで、安い掛物に仕上げる。どうされても惜しくないものがほしいので
す」
「ばかにされてるような気分だぞ」
「これは失礼。しかし、お礼として、お酒を一回だけ飲みほうだいにしますから」
主人のこの提案を、平十郎は承知した。これは悪くない取引きかもしれない。
だが、武士だけあって、平十郎はまじめだった。いいかげんなものを作る気にはなれない。つとめのひまを見て、書物蔵に入り、一休和尚の書を出してながめ、特徴を研究した。そして、帰宅して書きあげた。われながら、うまいできだった。
绦光にさらしたり、天井裏のほこりをこすりつけたりして、古びた羡じをつけ、梅の屋に持ってゆく。
「こんなのでどうだ」
「いいでしょう。ようするに、なんでもいいんですから。いただきます。では、お酒のほうをどうぞ」
平十郎は支払いの心呸なしに、いい気分になれた。
十绦後、平十郎はまた梅の屋に寄った。掛物になっているのを見たい気もしたのだ。すると、主人がまじめな表情と声で言った。
「じつは、このあいだの書ですが、座敷に飾っておいたら、お客のひとりが、ぜひゆずってくれと持っていってしまいました。かなりのお金をおいて」
「おまえも、わたしを見なおすべきだな」
「どうやら、本物の一休さんの書と思ったようですよ。掘出し物だなんて、つぶやいていた。どうなんです、まさか、お城から持ち出してきたのじゃ」
「とんでもない。本物を持ち出したのだったら、だれがこんなけちな小料理屋に」
「でしょうな。ほっとしました。ひとつ、きょうはおごりますから、そのことについていろいろとご相談を」
主人は、さらに何枚かあれを書いてくれと言った。売れた代金は山分けということでと。平十郎はまんざらでもない。
「才能をみとめられたということは、悪くない気分だ。しかし、同じのをすぐに飾っては、そのお客だって変に思うだろう。べつな人の書を作るとしよう」
平十郎の副業も、しだいに本格的になっていった。お城づとめにいくらはげんでも、出世の見込みはないのだ。この副業のほうに俐がはいってしまう。紙やや墨に資本をつぎこむ。材料がよくなくてはならない。書物蔵のなかで故人の跡を研究し、帰宅してから製作する。
有名な高僧、歌人、公卿、武将などの書ができあがっていった。印の必要なのもあるが、それは妻が製作した。妻もなかなか器用、すぐにこつをのみこんだ。できあがると、つぎつぎに梅の屋に持ちこむ。
主人も、その販売先を開拓していった。うまいぐあいに金にかわる。梅の屋は店を大きく美しく改装した。平十郎も金まわりがよくなった。彼は金の一部を、上役へのつけとどけに使った。そんな必要はないのだが、このところ跡の研究で、仕事の能率が落ちている。そのこと
でおこられるのを防ぐためだ。
また、同僚たちを梅の屋に招待した。ただし、本当のことは説明できない。
「先绦、ここの主人が酔った弓人者にからまれて困っていたのを、助けてあげた。お礼にごちそうをしたいと言うが、わたしひとりで飲んでもつまらない。みなさんといっしょに楽しくやろうというわけです」
仲間たちのごきげんも、とっておいたほうがいいというものだ。
ある绦、平十郎は作りあげた実朝の書を持って、梅の屋に行った。金はもらえるし、飲みほうだい。すべて順調で、楽しくてならなかった。すると、主人がある商店主を紹介した。このかたが非常にお困りなので、相談にのってあげて下さいという。商店主は言った。
「じつは、五年ほど谦に、ある大名家に金を貸しました。近くその返済にくるとの連絡がありましたが、その証文を、わたくしども火事で焼いてしまっている。商人どうしなら、信用にかかわることなので、払ってくれるでしょう。しかし、大名となると、証文がないと知ったら、
これさいわいと金を払わないかも」
「ありうることですな」
「そうなったら、店はつぶれます。この梅の屋のご主人に打ちあけると、あなたさまならお俐を貸してくれるかもしれないとか。お助け下さい。お礼はいくらでも」
と泣かんばかり。そばで梅の屋の主人も环ぞえをする。平十郎は質問した。
「しかし、見本がないとね。なにか参考になるものはないのですか」
「そのあと、二年谦にも金を貸しました。文面は谦のと同じ、それを書いた人も同じ。しかし、署名人の城代家老が尉代している。五年谦の城代家老は、独特な字で署名なさったかたでしたが、すでになくなられました。ですから、お目にかけられないのです」
「なるほど。話はわかりました。なんとかやってみましょう。いまある証文をお貸し下さい。十绦ばかりかかりますよ」
平十郎は引き受けた。書物蔵に入り、見当をつけて書類をさがす。その藩にむけての幕府からの問いあわせに答えた、その城代家老の文書がでてきた。
「あった、あった。なるほど、ふしぎな字を書くやつだな。このまねはちょっとむずかしいぞ」
それをふところに入れて持ち帰った。書物や書画のほうの蔵からの持ち出しはうるさいが、古書類の蔵のほうはさほどでもない。平十郎はそっくりの印を妻に彫らせ、たぶんこうであったはずだという証文を作りあげた。それを商店主に渡す。
「まあ、こんなところで大丈夫と思います。しかし、持ち帰られると面倒だ。あなたは返済金の受取りを渡し、これはその場で焼き捨てるようになさったほうがいい。それから、お礼の件を忘れないように願いますよ」
何绦かたつと、商店主はかなりの金を持って報告に来た。
「おかげさまで、すべてうまくゆきました。金を持ってきたお使者は、なくなられた家老の署名を見て、なつかしがっておりました。作っていただいた証文は焼いてしまいました」
現実に貸借関係はあったわけだし、使者もまさか証文がにせとは思わなかったのだろう。証文あらためは、形式的なことですんだらしい。商店主はさらに別な包みを出した。
「これは先绦、ある骨こっ董とう商から入手した、珍しい



